よき出会いを<受験は人生の通過点> 志学ゼミ田端進学教室
大学時代の友人との交流は私にとっては今も続く関係なのです。先日も久々の電話がK先輩よりありました。十年以上お会いしていないのですが、不思議とそばで話している感じがします。
大学にしろ、高校、中学といった学校へ行く目的は将来何になるのか、何をやりたいのかが前提となっていますが、それと並行して多くの「出会い」があることを忘れてはなりません。
地方出身の私は大学で各地方出身者との交流で自身を育てていきます。K先輩とも夜な夜な「人生論」を語り合う付き合いをさせて頂きました。卒業とともにそれぞれの道を歩むことになるのですがその日々の語り合いが今も残っています。
私も「デカンショ時代」にあこがれていた時代遅れの青年だったのかもしれません。
諸君に偉そうに話す私は何になりたいということが大学に入るときに決まっていたかというとそうではありませんでした。高校時代「司馬遼太郎」を読み漁っていた私は「どう生きるか」「どう死ぬか」といった生き様、死に様に非常に興味を持っていました。大学では社会全体を自分のなかでどう捉えていくかそのために法律、政治、社会学、文学、哲学といった興味の湧くままに本を読み、先輩、友人と語り合うことをしておりました。
そういった意味では大学の時代は「モラトリアム」であったのかもしれません。
そんな中でK先輩は哲学を学んでおられましたが、やはり自身の「生き方」哲学を求めていたことは後輩が彼を慕うところにも表れていました。
K先輩は周りから押されるままに会の中心的役割をこなされていきましたがけっして自分から表に出て行くタイプではありませんでした。しかし不思議と彼の下宿に人は集まって行きました。
今思うと、K先輩は「哲学」の講義をするわけではないのですが「相談」をよく持ちかけられ話を聴かれていました。私もその中の一人であったわけですが、彼自身の「悩み」を後輩の前でも語るといったところがあり懐の深い人でもありました。
K先輩は現在「みちのく専門の」旅行会社を経営されています。人生は「旅」ですが自身の中で日本的なものを求められていたのかもしれません。
それぞれ「何かが」語れた。それは単なる知識ではなく、自分の中で抱えた問題に悩み、解決するためのもんもんんとしたなかでの知識を得ていた感じがします。ですから当時読んだ本は今もって語れるのは、自分の中に自身の悩みとともに残っているからです。
また私自身もそれを求めていました。「語り合える友」は生涯の財産といえます。
「類は友を呼ぶ」ということが言われますが正にその通りです。自身の「悩み」をさらけ出しながらも自身の「無力さ」を知り「何」をしていくかといったことへはなかなか到達できない若者がそこにいました。
しかし今もって「会いたい」と思える先輩、友人はその時代の単なる思い出話があるからではないのです。それぞれの仕事の中でそれぞれの「生き方」を持って「今」を生きているとわかるからなのです。
諸君にも諸君にしかない「出会い」があります。諸君に等しい「出会い」があります。自身を高める諸君はそれに等しい出会いがあります。そういう面では周りは全て自分に等しいのかもしれませんね。
塾長
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地方出身の私は大学で各地方出身者との交流で自身を育てていきます。K先輩とも夜な夜な「人生論」を語り合う付き合いをさせて頂きました。卒業とともにそれぞれの道を歩むことになるのですがその日々の語り合いが今も残っています。
私も「デカンショ時代」にあこがれていた時代遅れの青年だったのかもしれません。
諸君に偉そうに話す私は何になりたいということが大学に入るときに決まっていたかというとそうではありませんでした。高校時代「司馬遼太郎」を読み漁っていた私は「どう生きるか」「どう死ぬか」といった生き様、死に様に非常に興味を持っていました。大学では社会全体を自分のなかでどう捉えていくかそのために法律、政治、社会学、文学、哲学といった興味の湧くままに本を読み、先輩、友人と語り合うことをしておりました。
そういった意味では大学の時代は「モラトリアム」であったのかもしれません。
そんな中でK先輩は哲学を学んでおられましたが、やはり自身の「生き方」哲学を求めていたことは後輩が彼を慕うところにも表れていました。
K先輩は周りから押されるままに会の中心的役割をこなされていきましたがけっして自分から表に出て行くタイプではありませんでした。しかし不思議と彼の下宿に人は集まって行きました。
今思うと、K先輩は「哲学」の講義をするわけではないのですが「相談」をよく持ちかけられ話を聴かれていました。私もその中の一人であったわけですが、彼自身の「悩み」を後輩の前でも語るといったところがあり懐の深い人でもありました。
K先輩は現在「みちのく専門の」旅行会社を経営されています。人生は「旅」ですが自身の中で日本的なものを求められていたのかもしれません。
それぞれ「何かが」語れた。それは単なる知識ではなく、自分の中で抱えた問題に悩み、解決するためのもんもんんとしたなかでの知識を得ていた感じがします。ですから当時読んだ本は今もって語れるのは、自分の中に自身の悩みとともに残っているからです。
また私自身もそれを求めていました。「語り合える友」は生涯の財産といえます。
「類は友を呼ぶ」ということが言われますが正にその通りです。自身の「悩み」をさらけ出しながらも自身の「無力さ」を知り「何」をしていくかといったことへはなかなか到達できない若者がそこにいました。
しかし今もって「会いたい」と思える先輩、友人はその時代の単なる思い出話があるからではないのです。それぞれの仕事の中でそれぞれの「生き方」を持って「今」を生きているとわかるからなのです。
諸君にも諸君にしかない「出会い」があります。諸君に等しい「出会い」があります。自身を高める諸君はそれに等しい出会いがあります。そういう面では周りは全て自分に等しいのかもしれませんね。
塾長
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