風流☆って…
みなさんこんにちはそわ☆です!
冬期講習で、古典のショートゼミを行ったのですが、そこで塾生さんから「風流ってどういうことですか」と聞かれました。
「風流」…
言葉に詰まってしまいました。わかって使っているつもりの言葉でもその本質ってけっこうわからなかったりしますよね。
「日本的に雰囲気がいい…ってことじゃあないかなあ」などと、わかったようなわからないような返答をしてしまいました。
帰ってから広辞苑を調べてみると、「俗でないこと」「雅なこと」「美しく着飾ること」などと説明がかかれてありました。
光源氏なのか、兼好法師なのか…。なにかピンと来なかったので本屋で「日本の「風雅」」という新書を少々閲覧(立読)させていただいたところ、いろいろと書いてありました。
もともと、「風流」とは「禅」の言葉なのだそうです。
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「風に揺らぐ」という「禅」的な境地が「風流」の一語に結実したというわけなのです。
そして、「禅」は、人間の五感を封じて自然と一体化することをモットーとする教えです。
「風に揺らぐ」というのは、木が風に揺れるように風を自然に受け入れるといった意味なのでしょう。玄侑宋久氏(芥川賞作)は「風と一つになることを楽しむ心の余裕」と表現していました。
ほほう。
なんとなくわかってきたような気がします。
司馬遼太郎氏は風流人として「足利義政」を挙げました。
足利義政って、跡目問題の不手際を起こし、応仁の乱の元凶を作っておきながら決着もつかないうちに息子に職を譲り、銀閣寺を立てて隠居生活を楽しんだ人です。
きっと、司馬遼太郎氏は自分で引き起こした戦乱のさなかに閑雅な山奥に引きこもって楽しんだ彼の心の「ゆとり」を感じて、「風流」な人だなと感じたのではないでしょうか。
日々ゆとりを持って生きてゆきたいものですよね。
なにごとも。
そわ☆
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