佐賀のがばいばあちゃん<無駄なものはないんだなあ>

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漫才師でもとB&Bの島田洋七氏の小学生から中学生までの母方の実家の祖母との生活を記したものである。広島から佐賀へ移り住んだ作者の少年期に出会ったまさに現代版しろばんばである。

以前から気にはなっていたものの読まずにいました。帰省する際もそうですがどこかに行くときには私には「旅の友」が必要なのです。今回は「がばいばあちゃん」にしました。

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「がばい」とは「すごい」という方言です。42にしてご主人(作者からすると祖父)を亡くし学校の用務員をしながら7人の子どもを育て上げる。それだけでも大変なのに孫の作者を預かり育てる。

川の近くのからぶき屋根に住み、川には上流の市場から流れてくる野菜やらを引っ掛ける棒がある。ばあちゃんは川はスーパーマーケットと読んでいた。とにかく無駄のない生活。しかし暗くはない。貧乏には明るい貧乏と暗い貧乏があるそうです。昨日今日始まった貧乏でないばあちゃんのところは明るい貧乏だそうである。もちろん川がきれいだった昔の話だ。

たとえば下駄の片方が流れてくる。「ああ、薪にできるなあ」と作者(島田洋七)が言うともう少し待っておれという。そうするとまた上流かもう片方が流れてくるのである。こうかくとなんだか予言みたいであるが、ばあちゃんの言葉を借りれば、片方をなくした人はもちろん探すがそれがなくなったとあきらめるともう片方も流すそうである。

そうしたばあちゃんに育てられた作者も母ちゃんはいる。とおちゃんと若くして死別し、女で一人で兄ちゃんと作者を育て上げた母ちゃん。仕事をする上で子どもをなきの涙で預けたかあちゃん。

そうして作者は食べるものがないときは「はようねれ」といわれながらも明るく育つのである。運動会では誰も着てくれずに教室で一人で梅干としょうがの弁当箱を新聞紙の包みで隠すようにして食べていたとき、担任の先生から「今日は腹を壊したので弁当を交換してほしい」といわれる。これは担任が変わっても毎年受け継がれていたそうである。

「人に気がつかれないようにして行うのが本当の優しさである」とばあちゃんは言っている。「もらいものですけれど」「食べ切れませんから」といって持ってくる。ばあちゃんも飼っていた鳥の卵を配ったり(冷蔵庫がないので保存ができない)、ほかの人のところまで水をうったりしたそうである。昔の社会のよさ「持ちつ持たれつ」がそこにはある。つまり良き共同体社会があったのである。

その基盤はじいちゃん、ばあちゃんまで含めた大家族がそこにはあったのである。田舎に帰って墓参りをする。そしてお袋と話をする。いまだにそうだなあと思うことが多いのである。

塾長

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