ちょっといい話67<司馬遼太郎との出会い>

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先日NHKで「坂の上の雲」を見ました。司馬遼太郎の原作は読んでおりましたので、なんだか懐かしい思いすら感じました。読んだ当時のことを思い出したりしますね。私の高校時代は司馬遼太郎に明け暮れていました。

「上っていく坂の上にもしいちだの雲があるとするならば、それのみを見つめて登っていこう」という一文がよみがえってきました。そういった一文をメモをとりながら声に出して言ってみる。そうするとなんともいえぬ作家の息吹を感ずるのです。

坂の上の雲んの時代は明治。日露戦争に向かう流れの中で秋山好古、真之兄弟と正岡子規を主人公が描かれています。「竜馬が行く」から読み始めた私でしたがこの「坂の上の雲」でなんだか司馬文学が完成されたような気がしたことを思い出しました。

明治以降の個人という発想が国という大きな前提のもとになくなってしまう。個よりも全体の時代。その時代の中でいかに自分の居場所を模索する。そんな感じがしました。

当時の感想ですが、女性があまり出てこなかったような記憶がありました。寄り道をしないまっすぐな作品といった印象がありました。当時、そういう風に生きたいと思っていたからかも知れませんね。

私はNHK大河ドラマ「花神」に夢中になり司馬遼太郎の作品にのめりこんでいきました。町医者から日本陸軍の祖といわれた大村益次郎の生涯を描いていましたが、その中で吉田松陰、高杉晋作が登場しました。作品的には「世に棲む日々」ですが番組ではその内容も入っていました。

私は山口の出ですから長州は地元です。それから「世に棲む日々」は何度読みなおしたことか。「生きざま」という言葉がありますが「死にざま」を感じておりました。みんな若くして死ぬんですね。それがかっこいい。当時高校生だった私はその生き方に感銘しておりました。特に高杉晋作に惹かれましたね。山口では吉田松陰ではなく松陰先生ですね。

そうして私は山口県内の高杉晋作由来の地を回りました。萩、下関、吉田。外国船打ち払い令に先駆け諸外国と戦争をし敗れた長州藩。そして彦島を租借したいとイギリスに言われたとき、古事記を朗々と語り租借条約を結ばなかったこと。

わずか10名足らずで挙兵した下関の功山寺。和山公園の高杉晋作像を夕日の中で見たときは感無量でした。海峡を挟んで小倉城が見えます。彼は幕末維新の長州征伐に対して小倉城を落とすことで青春の締めくくりにするとテレビで中村雅俊が言っていたなあと思いだしました。

その生涯の短さゆえに美しさと純粋さをより感じたのかもしれません。また折りたたみ三味線をもちながら騎兵隊のうた(どどいつ)を着流しで歌う姿はあこがれましたね。

また辞世の句がふるっています。おもしろきことも無き世におもしろく

かっこよすぎると何度思ったことか。そう言いたいものだと思いました。

自分の役割を終えるとその舞台からさっさと去っていく。種をまく人、それを育てる人、そして収穫するひと。その役割を歴史はその人に演じさせている。という風な言葉を司馬遼太郎は書いていたように覚えています。

司馬遼太郎の作品は主人公と一緒に熱くなっていない。どこかで客観的に評している。sだから主人公に人生論を語らせる時もその人柄を客観的に表すことで主人公の人生を描いている。

例えば吉田松陰。安政の大獄で処刑される牢のなかで。人生には春、夏、秋、冬がある。それは幼少にして死すとも長寿を全うしていくものであってもそれぞれに四季がある。だから私はここで死ぬことは何ら悔いはないと語らせています。

そんな司馬遼太郎を萩の松陰神社のとなりの小さな資料館(いまは建て替えられていますが)で見かけたことがありました。資料を熱心に見入っていらっしゃいましたが。その時彼と私だけでしたが声をかけることはできませんでした。

一人の作家との出会いは人生観を大いに変えることがあります。特に、中学、高校、大学といった成長期に読む本は自分の価値観を作る上で重要な要素の一つです。

経験には直接経験と間接経験があります。読者は後者ですが生き方を考える本を読んで自身の肥やしにすることが大切です。

塾長

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