鉄人からのメッセージ1<私もできなかったのです>

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鉄人です。先日、学年末の最終授業で中3、高3生にお話しした内容の一部をお伝えします。

2月27日、恒例の学年末最終授業。生徒諸君は10年後の自分についての作文を書きます。その後、講師がひとりひとり前に立ち自分の中学時代、高校時代、大学時代、そして10年後を語るわけです。

「僕らもみんなできなかった」にも書きましたが、私は中学時代、先生に反抗ばかりしていましたので内申点(通知表)が悪く、専化(体育、技術、音楽、美術)がなんとオール1でした。

私の家庭の方針として公立高校への進学しか認めないというものでした。当時、私の田舎は内申が重視される入試でしたので俗に言う底辺校しか受かる見込みはありませんでした。

お~いM、生きて帰ってこいよ。などと同級生に言われたものです。

そうして高校時代が始まりました。話題はバイク、喧嘩の話が大半で勉強の話など誰もしませんでした。そこで私は不安になり進路相談室へ行きました。そして父が国立受験をしなさいという方針であることを伝えました。

進路相談室には蛍雪時代(進路関係の本)が一冊ぽつりと置かれているだけでした。

「うちからは大学はあまり行かないなあ。ましえちゃ国立なんて行ったことがないからよくはわからんわ」というのが当時の私の母校の進路担当の先生の答えだったのです。

学校では友達の話に合わせながらも勉強の環境を確保することを急ぎました。そして中学時代の友人で公立のトップ校へ通っている連中が何をやっているのかを聞きました。そうして連絡を取り合いながら情報交換をしていきました。

よく学校の友達ともデイスコへも行きましたが深夜喫茶で友達が寝ているとき、参考書を開いたものでした。

父は理科系でした。その影響から自分も自然に理科系を目指していました。現に理数科目は好きな教科が多かったことも事実です。

しかし私の父は理数が私よりも数段できたわけです。父は息子が勉強している内容を聞き、ははんこの辺か。次は○○を習うはずだからなどと言われることはしばしば。子供のころからクイズやゲームで散々容赦なく徹底的にやられていましたから、父と同じ道を行くのはいやだなという思いはありました。

しかしそれ以上に自由がほしかったのです。親元から離れて生活してみたいという思いがありました。そして海外にも行ってみたいと思いました。しかし我が家ではそんなお金を出してくれそうにはありません。父は相変わらず国立一点張り。

大学イコール国立だったわけです。私はその枠の中で受験をして上京しました。叔母が東京にいたことが幸いしたのかもしれません。

大学を出て就職をするとは考えませんでした。語学を学んで見知らぬ土地で対等に話をして交流してみたい。私はそう思っていました。おかげさまで国のお金で留学させてもらい博士過程まで学ばさせていただきましたが、大学の組織にはなじめない自分を感じていましたので英語屋で生きたいと考えるようになりました。

ですから私はよく自由人だと言われますが、働いていないわけではありません。それなりの仕事はしています。また今も機会があれば興味のある国へ行き直接交流を持つためにその国の言葉を学んでいます。

自由を得るにはそれなりの覚悟が要ります。自由だ自由だと言っているうちはまだまだ。本当の自由を獲得するためには力がなければなりません。諸君は何を持って自由を獲得しますか?

鉄人



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