小学生の読書ノート

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最近では、緒方洪庵、正岡子規、高田屋嘉兵衛を読んできました。そして先日来「わたしはだれ」という題の各作者の随筆を読んでいます。

その時代その時代にその人なりの生き方を見ていきますが、どうしてそういった行動がとらえたのかを本文から学び取ってほしいと考えています。

今回終了した高田屋嘉兵衛も読み終えた後、印象にのlこった場面、文を抜き出し、選んだ理由、体験を踏まえて作文を書いて頂きました。

すこし高田屋嘉兵衛の紹介です。

高田屋嘉兵衛は1769(明和6)年、淡路島の貧しい家庭に生まれました。子供のころは隣村に働きに行きずいぶんといじめられたようです。しかしながら、その負けん気で船頭を夢見ます。22歳で兵庫(現・神戸市)で、大坂(大阪)と江戸の間を航海する樽廻船(たるかいせん)の水主(かこ)となります。

やがて西廻り航路で交易する廻船問屋として海運業に乗り出し、まだ寂しい漁村にすぎなかった箱館(函館)を商売の拠点としました。当時ロシアとの国防対策を急ぐ幕府に協力して、エトロフ島とクナシリ島間の航路を発見したり新たな漁場を開きます。

そのころ日本は鎖国をしていました。鎖国を理由に通商を断られたロシア使節レザノフが、武力行使で日本側に通商を認めさせようと、エトロフ島の日本人部落を襲いました。たまたま蝦夷(北海道)沖の地理を調査中であったロシア皇帝艦のゴローニン艦長が、クナシリ島で水・食料の補給を得ようと上陸した途端、日本の警備隊に捕らえられるという事件がおこりました。

艦長を失ったロシア船ディアナ号はその消息を聞き出そうと、偶然近くを通りかかった嘉兵衛の船を捕らえ、嘉兵衛を配下五人と共にカムチャッカへ連行抑留します。 副艦長リコルドは嘉兵衛と共にゴローニン釈放にいたる両国の和解を成し遂げたのでした。

少年時代の過酷な生活の中の一文「人間は忘れる動物」という文を上げた諸君。ロシアに抑留されながらも希望を捨てずにロシア語を学び、ロシア皇帝と謁見した場面を書いた諸君。日本に帰ってから淡路島で嘉兵衛をいじめた村人を許すところを上げた諸君。それぞれが感じた文章、場面を抜き出していきます。

そしてそれを選んだ理由。自分の体験を書いていきます。そして身の回りでできることの自分自身の気付きをまとめて作文を書いて頂きました。6年生は書くスピードもまとめ方も慣れてきましたね。5年生は書くことへの抵抗がなくなってきましたが、まとめていくには練習が必要ですね。ですから5年生には印象に残った文、それがどうんナ場マンで使われたのかなど一つ一つ書いてもらっています。

また各ページ毎に、タイトルを考え、要約をしていますがとらえ方ができつつありますね。言いたいことがつかめるようになってきました。

このコーナーでは一つのことを何度も何度も繰り返し読みながら言いたいことをつかむ練習も兼ねています。なでるようにさらっと読むのではなくこれだと思えるまで読み直してみることを進めています。

塾長

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