自分を語る、自分を認めるとは

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学校の朝読書に私の書いた「心の時代」を持って行って読んでいますという塾生の声がはいってまいりました。
ありがとう。その中には現役講師の逸話」も多く含まれています。

イニシャルはあでかいてあるもののMくん向井先生?I先生って岩崎先生?岩野先生?飯倉先生?など詮索がされているようです。

渡しかtらは何も言いませんでした.

そんななか飯倉先生がそこに載っていた様々なことから逃げ回っていたのは僕ですと発言しました。i飯倉くんは
現在講師として志学ゼミで働いています。

自分のいやなこと、過去の過ちについおては触れられたくありませんし、語ることをしないのが普通かと思います。そこをあえて認める。ということはどういうことか?

そこから逃れられない自分を見るということなのです。

社団の理事長でもある辻本先生はうつ病になった過去をあえて認め、語りました。コーチングにおいては未来未来と話が向かう中で、過去をあえて見、それを認めるからこそ未来がある。だから今の私があるということをよく話されます。

ですから様々な過去を認めることは自分のすべてを見、それを受け入れるということなのです。それをもとに自己肯定をしてみる。

いま、飯倉講師もそれを行おうとしています。
「そうだよ、いろいろいやなこと、つらいことから逃げままわったのは僕だよ」と笑って言っています。

その発言をするということは「もう逃げられない」ぞと自分自身に言いきかせているのです。そして、そんな自分をいま認めようとしているのです。良きにしろ悪しきにしろ、そうしたことも自分、すべてを受け入れている自分が今なのです。

いま、飯倉講師は自分の過去の体験をみんなが読んで、笑い話にしてもいいし、教訓にしてもいい。ただそんな自分がいまももがいて志学ゼミでようやく講師としてやっていこうとしている姿を見せるしかないと思っているようです。

これは彼だけではなく、それぞれの講師、いや私自身にも言えることです。文章を書くというのは何かを昇華したいからであり、本当に悟っている人は文章にするということはしないかと思います。

そうして過去の文をみながら「ああ、できていない私」に気が付きながら人生をもがきながら生きていく。そうして「できない自分」を受け入れながらそこに自分らしさを認め、自分を肯定していく。そんなことを繰り返しながら生きていくんだなあと彼を見ながら自分自身を見つめ直し、10年後の自分から今の自分へのメッセージを考えたりしました。

塾長

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