政治経済の授業風景

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 政経における時事の授業でこんな記事を参照しました。

 「06年度の教科書検定で、本格的にマンガを採り入れた『数学II』の教科書が、大幅にマンガ部分を削除されたものの合格した。
 数学が苦手な生徒さんには、わかりやすくてよいのでは? そんな疑問を、元・数学教師でマンガ家の江川達也氏にぶつけてみた。
 『僕はマンガ教科書には反対ですね。もし、こういうことをするなら、超一流のマンガ家を起用しないとダメ。そのうえで、たとえば数学なら、高等数学も理解しているマンガ家じゃないと話にならない
 マンガならとっつきやすいし、苦手な人に伝えるには有効な手段のような気もしますが。
 「わかりやすくなるとは思いますよ。ただマンガは、数学でも国語でも歴史でもなく、あくまでマンガなんです。教科書ではなく、副読本としてならどんどんやるべきだと思いますが、教科書にするのはおかしい。教科書は認定する・しないでもめるくらい半強制的で重いものですから」(同氏)
 江川氏のマンガは、近年の作品に顕著だが、すべて「教育」というテーマがベースにある。それは、教科書より圧倒的に面白く理解しやすい。その意味で、マンガにすればわかりやすくなる、というのはモノによっては事実といえるが、「教科書としては問題」という江川氏の主張は、教育にこだわってきたマンガ家の意見として耳を傾けるべきものがあるだろう。」
   (R25より抜粋)

 江川氏といえば、「東京大学物語」「マジカルたるルート君」などの作品を生み出した超売れっ子漫画家です。

 教科書の漫画化に苦言を呈する一言がありました。

 「僕はマンガ教科書には反対ですね。もし、こういうことをするなら、超一流のマンガ家を起用しないとダメ。そのうえで、たとえば数学なら、高等数学も理解しているマンガ家じゃないと話にならない」

 このコメントを聞いて、私が思い出したのは故手塚治虫作「ブラック・ジャック」でした。

 最近、当塾では手塚治虫の本を題材に「読書ノート」(HP参照)を塾長講義として行ってきました。それもあってか、「ピン!」ときたんですね。

 「ブラックジャック」は知っている方も多いと思いますが、無免許の天才医師が世の中の矛盾を感じつつ、生命とは何かという疑問に立ち向かってゆく話です。詳しくは読んでみてください。絶対ハマリます。ソワ☆は全巻持っています。

 手塚治虫が実は医学部出身だったことはあまり知られていません。

 彼は阪大の医学部生だったのです。だからこそ、医療に精通していましたし、実際「ブラックジャック」の中には緻密な描写や高度な医療用語が出てきます。

 あの漫画が面白かったのは、そんな確立した知識の上に成り立っているSFだったからなのではないでしょうか。

 単なる空想ではなく、ある意味リアリスティックな話に渡しは強くひきつけられました。

 それだけの力量がある漫画家でないと、教科書を漫画にしてしまうという試みは失敗してしまうと江川氏は言っています。

 まあ、教科書を漫画にすることの当否は別として、この記事に関連して授業で取り扱ったのは「教科書検定制度」です。

 韓国や中国において「反日教育」が日本では話題になっていましたが、実は日本でもそれと同じようなことが方向としては逆の方向で行われています。

 具体的に言うと、歴史の教科書などにおいて731部隊(毒ガス部隊)の存在、従軍慰安婦、南京大虐殺などの話は盛り込まない、日本のアジアへの「侵略」を「侵行」に直させるなどです。

 我々は日本の戦争責任問題につきあまりに認識が薄すぎます。韓国・中国の教育はやりすぎかとは思いますが…

 でも、文部省が主導で戦争責任問題についての認識を逸らしてきたことは間違いないと思います。

 授業ではこのような「教科書検定制度」に真っ向から反対した人「家永三郎」を紹介しました。法律を勉強する者の中では「家永訴訟」といわれる教科書裁判として知らないものはいないほど有名な名前なのです。

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 事案の概要はこうです。

 家永自身の執筆した日本史教科書における南京大虐殺、731部隊、沖縄戦などについての記述を認めなかった文部省に対して、検定制度は違憲であるなどとして三次の裁判を起こし、教科書検定を巡る問題を世間に広く知らしめた。訴訟における最大の争点であった「教科書検定は憲法違反である」とする家永側主張は、最高裁にて「一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲にあたらない」として、家永側の主張の大部分が退けられ、家永側の実質的敗訴が確定した。一方で、個別の検定内容については一部が不当とされ、家永側の主張が容れられた。学説の大多数も教科書検定制度は合憲とするこの判例結論を支持している。

 少し前に家永氏は永眠されました。最後の最後でやっと「一部違法」という判決を勝ち取ったのでした。わが母校でも(塾長の母校でもあります)教鞭を振るっておられました。

 さて、行政にたいする裁判はほとんど勝てないのが常でした。ではなぜ負け戦に家永氏が36年間という自己の生命をかけてこの裁判に取り組んできたのでしょうか?

 家永氏はこんなことを言っています。

 「私が大学で教鞭をふるっていた時、間違っているとわかっている戦争に何人もの先のある学生を戦地に送り出してしまった。戦争責任が私にもあるのです。新憲法が制定され、思想信条の自由、表現の自由、学問の自由など鳥肌の立つよなすばらしい規定がなされた今、このような制度ができ、再び以前のような言論統制をおこなうようなものに対して私は真っ向から人生をかけて戦わなくてはならないと思った。」と述べています。

 知らず知らずのうちに「国がいけないといっていることはいけない」という思い込みが(刷り込みかもしれません)大きくなっている気がします。

 怖いことです。とっても。国がやていることにもおかしいことはたくさんあります。それを見逃さないように監視していくのが私たちの役目なんですが…

 なんてったって「主権者」ですから。

 国民投票法もでき3年後には憲法改正草案が出されるにあたって、考えるべき事柄だと思います。

 塾生さんたちには、様々な情報に触れ思索をめぐらしてほしいと思う今日この頃です。

          ソワ☆

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