講習風景<中3高校入試>
25日より冬期講習がスタートしました。大学入試組は朝から、中学、小学組は午後から。二期生のところもありますので本日は変則的です。中3は英熟語300.これまでやってきたことのブラッシュアップ。
やりぬいたもの、やり遂げた物を持って入試の会場に行こう。英熟語300は一つの伝統になっています。
声に出して覚えた。何度も書いた。そして1から100が合格すると101から200.それが合格すると201から300.そして1から300の通しとなるわけです。
手垢で真っ黒になった辞書、問題集には愛着があるはずです。これは今も昔も変わらないものがるかと思います。どれも身につくまでやりぬいたものが体に染みついている。
「手は覚えていた」(鉄人語録)の状態までやりぬくのです。
今までやってきたことを。出来ると思っていることでもやってみると忘れていたということはよくあることなのです。
そんな時はどうするか?声に出して言ってみるのです。すらすらと言えるまで。目で見ていても
覚えた気になるだけです。声に出していってそして言えたら書いてみる。この繰り替えしが必要なのです。
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中3生は出来たものは再度白板に名前を書いていきます。もちろん参加者がすべてゴールするまでやります。ゴールした諸君は別の課題が与えられます。
この繰り返しの中でまたどんな勉強にも言えることを学んでいくのです。小学生だけが音読が必要なのではないのです。中学生、高校生だってそうなのです。
私も以前、高校時代に700選を覚えましたが、まずは声に出して言えるまで繰り返しました。それから書いてみました。
ですから黙読よりも音読の方が効果があります。脳に響いてくるのです。そしてやりきったというものがかすれた声の中でやがては充実感にかわるのです。
古典だって社会だって理科だって数学だって同じなんです。分からない場合声に出して、また図を書くことで分かった経験はだれしも持っているのです。
みんなも声を出して言っています。そして繰り返しています。ようし覚えた、そう思えるまでやればいいことなのです。
ところが・・・
12月25日7時半を回りました。300を通して終了した諸君が三名。そしてついに私から気合を入れられました。入試に自分の都合は関係ない。その日までやりぬいたかどうか。そんな気持ちではやりぬけない。志望校を変更せよ。とまで言われました。
それから全員が別室の私のいる部屋へやってきました。そして頭を下げていいました。
「明日までに覚えてきます」
なんだか嫌な感じがしました。明日がある明日があるなんて歌もありましたが、受験が今日だったらどうするの?とまたもや檄を飛ばしてしまいました。
「おーいこの休みに何をしてきたんだい。今日まででしょ。それを塾にきて覚え始めるのでは終わりませんよ。受験の日程は自分の都合では変えれない。」
「では、何をする?」思いのたけをぶつけずにはいられなくなりました。そして明日までに全員が終了しませんと私は授業はしませんと伝えました。
明日かと思いながら報告を待ちました。
そして残ってやった諸君を含め全員が、300が覚えきるまでやりました。これで1ステージクリアです。「やればできる」そう思えるのはやったものを目の前にしたときなのです。
彼らの顔が引き締まった感じがしました。
格好をつけてもはじまらない。できるとわかる、そうすると解ける。出来るようになるにはできるまでやるしかないのです。
塾長
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