ちょっといい話17<日本の風景Part2>
外国へ行くのもいいかもしれないが日本の良さを知っておく必要があるのではないかとよく講師に話しております。私も日本のすべての地を訪れておりませんがいってみたいなあと思うところは多々あります。どうしてもみんな海外に目が行きますが。今回は以前訪れた五能線の風景についてお話をします。
秋田から弘前まで「くまげら」に乗り込みました。東能代から山間を抜け、やがて海岸線が迎えてくれます。自然が作り出した奇妙な石が目に入ってまいります。そんな地を人々が名前をつけて今に伝わっている場所もあります。
どうして五能線が日本の風景としてよく紹介されるのか。もちろん自然が残っている。ローカル線のゆったりした空間がそこにある。海岸線を含めた風景が季節、時間によって当然のことながら様々に変化します。
そこに我々は日常の喧騒を忘れ時間に所有されるのではなく自分で時間を所有している感を抱くのである。風景を見ながらまた時折目を閉じながら列車の音に耳を傾けてみることもできる。
私にの場合、必ずといいほど旅の友が必要なのである。旅の友とは「本」なのであるが。この時ばかりは旅の友を投げ出して車窓からの風景を見ていた。
そんなときふと一つの風景が私の前に現れてきた。
おそらくまわりから見れば単なる田圃。それも猫の額ほどとたとえられるものであろうか?私はそれをしばし眺めてながら「日本」を感じていた。
海岸線を走る列車と海の間にはそう郷里もないのであるが、その間に畑や田圃が作られているのだ。地方に行くと棚田を見ることがあるが、その狭い土地に折り重ねるようにして作られた棚田に「日本」を感じたことがあったが、このとき以来かもしれないなあと思ったりもした。
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それは狭い土地の有効利用をしていると言う話ではない。そこに暮らすひとの姿がその土地と共にある。その息吹を感じるのだ。
冬の風。それも海風。その中での生活。その厳しさを想像して感じることよりも、その土地でたんたんと暮らしている人々の姿が田圃を通して見えてくるような気がするのだ。
そうやって我々の祖先も生きてきた。そこに「日本」の原景を見たような気がした。
その土地その土地によってその風土は異なり様々な顔を旅人に見せてくれる。その風土は我々の中にも生きている。その日々の営みの積み重ねが「今」である。
淡々と暮らすことのいかに難しいことか。こうなって欲しい。ああなったらいいと思う自分がいます。たまに旅に出ると日常から離れ時間をゆったりと過ごすことで時間にせっつかれている日常もまた自分が作り出していることに気が付きます。
時間をぜいたくに使うということは「のんびりすること」のように思われます。時間に身を任せることで~しようとか~したいという自分がはなれ、淡々としたリズムが生まれてまいります。ああ、これなんだなあと思いながらまた日常生活に戻っていくわけですが。
またそれが必要になったら旅に出ればいいかなどと考えたりもしました。
塾長
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どうして五能線が日本の風景としてよく紹介されるのか。もちろん自然が残っている。ローカル線のゆったりした空間がそこにある。海岸線を含めた風景が季節、時間によって当然のことながら様々に変化します。
そこに我々は日常の喧騒を忘れ時間に所有されるのではなく自分で時間を所有している感を抱くのである。風景を見ながらまた時折目を閉じながら列車の音に耳を傾けてみることもできる。
私にの場合、必ずといいほど旅の友が必要なのである。旅の友とは「本」なのであるが。この時ばかりは旅の友を投げ出して車窓からの風景を見ていた。
そんなときふと一つの風景が私の前に現れてきた。
おそらくまわりから見れば単なる田圃。それも猫の額ほどとたとえられるものであろうか?私はそれをしばし眺めてながら「日本」を感じていた。
海岸線を走る列車と海の間にはそう郷里もないのであるが、その間に畑や田圃が作られているのだ。地方に行くと棚田を見ることがあるが、その狭い土地に折り重ねるようにして作られた棚田に「日本」を感じたことがあったが、このとき以来かもしれないなあと思ったりもした。
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それは狭い土地の有効利用をしていると言う話ではない。そこに暮らすひとの姿がその土地と共にある。その息吹を感じるのだ。
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そうやって我々の祖先も生きてきた。そこに「日本」の原景を見たような気がした。
その土地その土地によってその風土は異なり様々な顔を旅人に見せてくれる。その風土は我々の中にも生きている。その日々の営みの積み重ねが「今」である。
淡々と暮らすことのいかに難しいことか。こうなって欲しい。ああなったらいいと思う自分がいます。たまに旅に出ると日常から離れ時間をゆったりと過ごすことで時間にせっつかれている日常もまた自分が作り出していることに気が付きます。
時間をぜいたくに使うということは「のんびりすること」のように思われます。時間に身を任せることで~しようとか~したいという自分がはなれ、淡々としたリズムが生まれてまいります。ああ、これなんだなあと思いながらまた日常生活に戻っていくわけですが。
またそれが必要になったら旅に出ればいいかなどと考えたりもしました。
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