新年の行事

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私にとって元旦は、毎年恒例になっておりますが「相田みつを美実館」に行きます。そこで目にしたもの、心に残った言葉、詩がその年、自分が心にすることだなあと感じておりおます。東京フォーラムには元旦にかかわらず多くの方が来館されていました。

今年は「道」でした。引用させていただきます・

    歩くから
    道になる
    歩かなければ
    草が生える

当たり前のことですがそのとおりですね。しかし心に引っ掛かってくる。なんだか田舎の山道を連想してしまう。そうなのです。誰もあるかないと草ボウボウになってしまいます。私も田舎に帰ると裏山の遊歩道をよく歩きます。舗装はされているものの急斜面でもあり、あまり人は歩きません。そうすると道の両端からカヤなどがたくましく伸びているのを思い出しました。

誰かが歩くとそこは道になる。歩かないと道は消えるのですね。なんだか高村光太郎の「道程」を思い出したりしました。僕の前に道はない。僕の後ろに道ができる・・・という詩ですね。

私はしばらく立ち止まっていました。生きていることとは、生きなければならないから歩くのか?生きるために、何かをするために歩くのか?

確かに生きている以上は歩き続けなければなりません。

その横に「筆」

    筆を
    持つということは
    自分が自分を
    生かすための
    行であり
    祈りである

やはりお芸術家はそこまでいくんだなあと思いました。自分に厳しい姿勢がありますがおそらく相田みつをさんにとっては自然なことであったのかもしれません。またこれしかできないのだという発言もありましたが、何かをやろうとする裏にはこうした決意はやはり必要かと思います。

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一つのものをやりきるにはそれ相当の覚悟は必要ですが、周りにはそれを要求してはならない。自分がこうだから相手もこうだろうと思うことは分かっていても言ってしまう私がいます。

    そもままで
    いいがな

これも今日目にした言葉の一つです。相手にはいまのそのままでいい。相手を変えようとするから、自分の思いとおりにならないから腹も立つ。これは自己反省を踏まえて書いております。

いけない、いけないと思いながら。そうそういまのままでいいのだ。人は思うようにはならない。特に親子関係、夫婦関係もそうです。では相手に全面的に合わすのかということになっていくとそれもちょっとできないなあと思う自分がいます。

ですから相手はそういう人だと思い相手を受け入れる、その存在を全面的に認めるしかないのでしょうね。そうか、そうか、そうだね。それでいいんだ。それでも自分の前に存在してくれている、ありがとう。なのでしょうね。

相田みつをさんの作品には自分への凛とした厳しさと相手に対する何とも言えない愛情に裏打ちした優しさを感じます。相手を条件なしに受け入れる姿勢を感じます。

しかし、できないわたし。などど書かれているとその真剣さがあるがゆえにぐっと心に響くのです。

毎年、美術館を訪れながら違う言葉に出会います。そしてその時に必要な言葉を何か見つけさせていただいたようにも思えるのです。これもまた出会い。邂逅なんだなあと感じております。

塾長
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